【奈良WL】地図にも載っていない名所「手力雄神社と御高札場」

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手力雄神社と御高札場【奈良ワンダーランド】

奈良市民も観光客もあまり行かないけれど、何だかすごい場所に行ってみる「奈良ワンダーランド」企画。

今回はまさに「こんなところにあるのに誰も気に留めていない」スポット!

三条通り沿い、猿沢池のすぐそばにある「手力雄神社」です。

場所はここ。

興福寺の敷地の裏にあります。なぜだか地図にも載っていません。

この辺りをよく通る人でも、「ああそういえばあったなぁ、よく知らないけど」という場所ではないでしょうか。私がそうでした。

入り口にはこれでもかというくらいの立て札が掲げられており…

さらになんだかわからない柱も建っています。

何だかわからないけどすごい神社なんだな、と思っては通り過ぎていたのですが、この度、ようやくご挨拶に行くことにしました。

幅3mほどの空間。この付近は意外と高低差があるので、土地の高さに合わせて建てられたのでしょう。すぐ裏に見える建物は興福寺会館です。

小さいながら美しく保たれた社。そして「手力雄神社」の横には「春日大社末社」との表示があります。

なんと!春日大社の末社の一つだったのか…。確かに他の末社と同じ形態をしているけれど、本殿からかなり離れたところにあるので気付かなかった。

こんなに密かに建っているにも関わらず美しい朱を保っているのも納得です。どうやら2015年の春日大社式年造替に合わせて修繕されたよう。知らなかった…

祀られているのは「天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」で、天岩戸に隠れてしまった天照大神が外の世界をチラ見した時に岩戸を抉じ開けたことで有名な神様です。

小さな空間ながら境内には大きな樹があり、神社特有の神秘的な雰囲気に包まれています。

すぐ下の三条通りとは全く違う世界観。

(最近奈良市でも盛り上がりを見せている)UberEatsのお兄さんが遠い存在に感じます。

さて、お参りを済ませたところで、入口の大量の立て札を解読しに戻ります。この小さな社に対して一体どれだけの情報が書かれているというのか…

立て札の枚数は11枚。すごく多い。春日大社末社であれば一枚の由緒書きがあるか無いかくらいの印象でしたが…

と、読み始めてみて、どうやら私が思っていたのと全く事情が違うらしいということがわかりました。

條々…「毒薬升にせ薬種売買の儀堅く禁制也 若し違反の者あらは其罪重かるへし…」

定…「寺社仏閣に落書き悪戯をすべからざること、公園内に空缶ごみ等を捨てるべからざること…」

奈良行事…「一月五日 南市の初戎 恵比寿神社 一月下旬の土 山焼き 若草山…」

そう、私がこの神社の説明書きだと思っていた札たちは、神社とは関係ない内容の札でした…!

ちなみに、真ん中にある方位が書かれた札の下にある一枚だけが手力雄神社の由緒書きでした。

中には「鹿に申し渡す」と書かれた札も…!

人間が捨てたゴミを食べないこと、道路を横断するときは左右確認すること、犬と会ったら逃げること、人間とは仲良くすること、奈良の顔として愛されるよう努力すること…

鹿に読んでもらうにはちょっと立て位置が高いかもしれない。

隅には「御高札場復元の経緯」と書かれたものがあり、明和初期までこの場所にあった高札場を地域活性化目的で1981年に復元したものだそう。実際に機能していた当時、この周辺は大変な賑わいだったと。

札の多くには「天和二年(1682年)五月五日」と書かれており、その当時に掲示された札を復元しているのでしょう。

なるほど、ではこの木の柱もその名残というわけか……と思ったら

この「奈良縣里程元標」というものは明治時代にできたもので、各府県に一つずつ設置されたものだそうです。

なんと、これまた神社とも札場とも関係のないものでした…!

とは言いつつ、この「里程元標」は奈良県に一つしかなかったので奈良の最も中心とされる道の上に置かれたよう。この場所に高札場があり大いに賑わっていたからこそこの場所に建てられたようです。

説明書きによると、こちらは1873年に建てられたものを2010年の平城遷都1300年記念として復元したものとのこと。

里程元標は各府県に一つずつ設置されたものの、木で作られていたために現存しているものは一つもなく、復元されているのも数少ないようです。

ちなみに里程元標の足元には石製の「奈良市道路元標」が。

こちらは大正時代に設置されたものの復元で、市町村に一つずつしかなかったそう。

道路元標は府県知事により設置箇所が決められたそうで、「かつて高札場があり」「里程元標があった」この場所を奈良市の中心として引き続き設定したということなのでしょう。

時代は流れ2010年に復元され、またこの地の歴史が引き継がれていったと思うと感慨深いです。

「奈良市の中心はどこでしょう?」と聞かれた時に「市役所」「西大寺駅」「平城宮跡」など色んな答えがあるかと思いますが、これからはこの場所も「奈良市の中心」の一つとして語り継いでいきたい。

ということで、足を止める人もあまりおらず地図にも載っていない小さな場所でありながら、春日大社の末社があり、かつては多くの人が見上げていた高札場があった場所であり、奈良の中心として多くの人の往来を見守ってきたという、奈良の長い長い歴史を紡いでいる「手力雄神社」と「御高札場」と「里程元標」「道路元標」でした。

これからの100年、1000年も同じように活気溢れる場所でありますように。

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