シリーズ《奈良ワンダーランド》 コロナ禍で帰省できずぽっかりと空いた時間を使って奈良の色んなところに行ってみる企画です。暑すぎて早くも最終回が見えてきた
長い長い梅雨が終わり、本格的な夏が始まりました。
実は今日は奈良ドリームランド跡地を見に行く予定でしたが、余りの暑さに山道を断念、計画変更して南京終町(みなみきょうばてちょう)へ。
暑さ対策で早めに出て朝ごはんでも食べようと思うもまず寝坊、向かった先の定食屋さんは営業時間外。だめだこりゃ。
さて、気を取り直してまず向かったのはこちらの「野神古墳」。
数年前にこの辺りに住んでいたのに、航空写真でこの記載を見つけるまでは存在すら知りませんでした。私の中のコロンブスが疼くぜ!「新大陸だ!」(?)
行ってみると、今まで知らなかったのも頷けた。団地の一角にあるのだ。
厳密に言うと団地の敷地の中ではないのかもしれないけれど、団地に用がある人以外は恐らく入って行かないところにある。
立て看板によると、石室があり石棺も残っているという事のよう。他の方のブログを見ると中にも入れたのかもしれない、もうちょっと奥まで回ってみればよかった。
頂上に祠があり、看板も建っているが…見えねぇ!めちゃめちゃアップにして見ると、発掘当時の状況や出土品についての記載のよう。
発掘されたのは昭和48年。つまり、えっと、1973年。
この頃に酷い干ばつが起こり、「野神さんのところには井戸が埋まっている」との言い伝えがあったことからやむなく掘ってみたところ、井戸はなく石室があったとか。そこから偉い人に相談に行き、ここが古墳であると認定された…ということだが、当時井戸を求めて発掘した人たちの哀愁たるや。「古墳ってなんやねん…井戸ちゃうんかい…」とさぞがっかりしたことだろう。ちなみに看板には「村民共愕然当惑」と書かれていました。せやろな。
しかし怒りに任せずこうして残される方向に進めてもらえたのはよかった。ありがとう当時のみなさん。
さて、次に向かうのは「京終葛城野神(ご神木)」と書かれていたここ。
ここも「野神」さんなのか。今度この辺りは昔どんな町だったのか調べてみよう。
それにしても気になる、大きな土地の中にポツンとある神社。
行ってみるとこんな感じ。
あ〜〜〜〜!昔よくここ通ってた時に「あれは何だろう」と思ってたあれだった!!
いつ見ても寂しい佇まい…
精一杯接近してみるとこんな感じ。フェンスの向こうに石段があり祠があるのも確認できました。
しかし、ここ誰か管理してくれてるんやろうか…備品倉庫がその場所にあるということは、地域にとって昔は重要な場所だったに違いない。たまにはこの地区の人がお祀りしてあげたりしてるのかな。
御神木にご挨拶したかったけど入れなかったので無念です。
こちらに関しては検索してみてもほとんど情報が集まらず。今度図書館に行ってみよう。
なぜ「葛城」という名前が入っているんだろう。この無闇に広い敷地はなんだろう。
少し調べると、「野神」というのは元々農業の神様で、「農神」らしい。今でこそ住宅街になっているけど、昔は一面田んぼだったのかもしれない。
南京終町は「京の南の果て」なので昔からそこそこなお屋敷などが建っていたのだろうと思い込んでいたけど、よく考えたら平城宮跡周辺ですら都が移った後は一面田んぼだったそうなので、そういうことかもしれない。
それでも「京終」という地名が残っているのが面白い。農業に勤しんだ人々は、そこがかつて都の中であったことを知っていたのかな。
ということで、「野神さん」周辺については少し調査してみようと思います。暑いし、図書館で調べものする口実ができたぞ。
今回はここまで。ご覧いただきありがとうございます!
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