奈良市版エンディングノート
「エンディングノート」をご存知ですか?
自身の身に何か重大なことが起こった時のために、前もって自分自身で意思を書き起こしておくノートのことです。
遺言書のような法的効力は無いものの、その人がどんな思いで生きているか、どんな風に最期を迎えたいか、伝えたいことは無いかーーーということを、人生を振り返りながら書いていきます。
エンディングノートは文具や書籍として様々なメーカーから販売されていますが、昨今では自治体が発行するエンディングノートもあり、地域情報や相談窓口の記載があることが特徴です。
そしてこの度、奈良市でもエンディングノートの配布が始まりました。
奈良市版エンディングノート わたしの未来ノート ~おもいをあなたに伝えたい~ (奈良市サイト)
市役所内や各出張所、各センター窓口で無料配布を始めているそうです。また、上記サイト内でデータのダウンロードも可能。
ということでせっかくなので…
エンディングノート書いてみるか…
一般的にエンディングノートは高齢者が身辺整理の一環として書くものというイメージがありますが、どんなに若くても病気や事故に遭う可能性は十分にあります。
つまり高齢者ではなくとも突然エンディングを迎えることがあり得る。それはアラサー一人暮らしの私にも同じこと…
ということで
ダウンロードしました。
ネガティブな印象はなく、未来や希望を感じるデザインです。
「もしも」があった時、対処をするのは本人ではなく周囲の人である可能性が高い。
エンディングノートは、自分のためでもあり周囲の大事な人のためでもあります。
書き方、そして目次。どんな人でも書きやすいようにわかりやすくまとめてあります。
鉛筆で書くのをお勧めしますと書かれていることに今気がつきました。大事なものだからと思い、愛用の青ボールペンで書いてしまった。
アラサー一人暮らし、エンディングノートを書く
まずは基本情報。当たり前ですがかなりの個人情報です。
今の時代、エンディングノートを狙って家屋に侵入する個人情報泥棒が存在してもおかしくないのではないか。発想が貧相だ。
一つ希望を言うとすると、今後SNSアカウントについてはもっと情報が必要かもしれない。私は欄外に書いておきました。
次のページは自分の人物像について。勢い余ってページをめくった瞬間に書き始めてしまいました。
特別悪いことだと思っているわけではないけれども、これをいつか身内に見られることを考えると切なすぎる。
それなりの人間関係は築いてるので心配しないで…
好きな言葉!!!!!
意気揚々と書き込んだ後に下の「座右の銘」の文字が目に入り、大仰に間違えたことに気が付きました。
奈良への熱いプロポーズ。一生側にいたい。
この辺で、むむむっとなりました。エンディングノートにどう死ぬかではなくどう生きたいかを書く。
これを誰かが読んだとき、一体何を思うんだろう。そのときの私に、ここに書いたことを叶えられる可能性は?何を書こうか少し悩みました。
交友関係。消しているのは前のページの恥ずかしい書き込みが移ってしまったからです。
ここに書き込める人の少なさに一人苦笑しました。知り合いはたくさんいても、わざわざ書けるような関係の人がそんなにいない。もうちょっと人間関係広げたいなぁ。
自分の生き方について見直そうと、うっすら思いました。
叔父さんごめん、名前が思い出せなかった。
さて、ここから「自分に何かあったら」というページに入ります。
「生きることができる時間が限られているとしたら、あなたにとって大切なことはどんなことですか?」
私はこれについてすでに答えを持っていたのでスラスラとチェックを入れていったのですが……いざこうやって何かに意思を残すとなると……
これを読んだ人は一体どう感じるだろう…
私が「長く生きることよりも自然に最期を迎えたい」と思っていることを、例えば家族が知ったとき、家族は「うんうんそうだね!」と思うだろうか…思わないよな……
この辺で私は涙ぐみ始めました。
あかん!!!!!
突如として涙腺崩壊。というのも、私が延命治療を望んでいないことを知っても、「延命治療は不要です」と家族がやすやすと決断できるわけがない。
家族が可哀想すぎる。こんな事態になることは極力避けなくてはならない。できるだけ事故には遭わないように、できるだけ突然の病にかからないように努力せねばならない…
悩んだ末、父の名と、親しい友人の名前を書かせてもらいました。母は絶対決断できない。納得してくれない。それが母だ。
書きながら号泣しています。
お葬式…私がいない、私のお葬式……
あんまり悲しまないで欲しいんだけど、そうはいかないよな……
お葬式やお墓というのは故人のためでもあり遺された人のためでもあると思う。そう思うと「よきにはからえ」としか書けなかった。
私の写真を探すのはかなり大変だと思う。なんせ集合写真ですら前の人の陰に隠れて写らないようにしていたくらいなので…
もしかすると学生時代まで遡らないとないかも。ほんまごめん。似顔絵でも用意しとくか?
渡したいもの。特に無いと思っていたけど、15年来相棒である楽器のことを思い出した。
せっかくなので誰かの元で元気にやって欲しい。友人の名前を書いたけど、貰ってくれないかもしれない。その時は売ってしまって、また誰かの相棒として活躍してもらって欲しい、と書いた。
また号泣してる。
生きてすらいない、楽器に対して涙を流している。今日は久しぶりにメンテナンスしてあげよう…
最後は「大切な人へのメッセージ」。たくさん欄があったけど、あまり書くことは思いつかなかった。
一つは、私を知る人たちへ「毎日後悔のないよう満足に生きています、悲しまなくて大丈夫です」。
もう一つはSNSで仲良くしてくれている人へ「楽しかった!!!!!」。
感謝は色々あれど、今の時点で来たるべき時のことを思って言えるのはこれしかなかった。
この後には各種相談先窓口が載っていました。
今のうちにやらないといけないことがある
書いていて思ったのは、いくら私が意思を残そうと、対処する人には葛藤があるかも知れないということ。
その時になって「私はこう思ってました」とわかったところで、もう私には相談も説得もできないというのはあまりにも酷だ。その上、恐らく決断にはそれほど時間の猶予がない。
エンディングノートは来たるべき時のために厳重に保管するものではなく、自分の言い残したこと、やり残したことを整理して、その時までに解決しないといけないものを洗い出すものなんだ、と思いました。
特に最期の迎え方については、事前に身内と相談して双方納得しておかないといけない。
そしてそれには年齢は関係ない。
むしろ早ければ早いほど、自分の生き方を見直すチャンスができる。今は手元にある、大事なもの、大事な人がどれほど失い難いものなのか、知るチャンスができる。
できることなら、今すぐ全国民で書いて欲しいと思うくらいでした。
私のエンディングノート
と大仰なことを言っても、家族にこの話をする勇気はまだありません。
ただ、自分の気持ちの整理はできたように思います。
念のため、思い詰めているわけではないことを追記しました。
これから、より悔いのない生活を送れるように頑張らなくては。
そしてわかりやすいところへ置いておきました。誰かに見られたら非常に恥ずかしいですが、それもきっと大事なことでしょう。
今日は美味しいご飯を食べて、楽器のメンテナンスを丁寧にしてあげて、ゆっくり寝たい。そうやって毎日を積み重ねていこうと思います。
明日も良い日でありますように。
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